オピニオン

新卒で1年半勤めた芸能プロダクションでクビ宣告を受けた話

 

福島県の会津出身の僕はゲームが大好き。
ゲームが好きだからという単純な理由で、ゲームクリエイターを目指して東京の専門学校に入学した。

 

しかし、2011年にあった東日本大震災をキッカケに芸能プロダクションのマネージャーを目指した。
当時学生で、地元福島が被災した中、家で節電くらいしか出来ない自分の無力さを歯がゆく思っていた。

 

その一方で、被災地の方の心の支えになっているタレントさんに憧れを持っていた。
電気が当たり前にある日本ではゲームはどこでも出来るけど、非日常と化した被災地で身体一つで活躍出来るタレントさんってすごいな!

 

そう思った僕はゲーム業界ではなく、芸能界に入ろうと考えた。
しかし、歌も歌えないし、演技も出来ないし、ダンスも踊れない。
ならばせめて、タレントさんを支えるマネージャーになることで、間接的にでも広く世の中の人たちの役に立つ自分になろうと決めて就職活動をした。

 

学校の先生から反発されたり、今まで学んできたことと全く違う分野に進もうとしていることから就職活動は苦戦したものの、なんとか芸能プロダクションの内定を取ることが出来た。

 

入社した当初は社長・タレントさんからも気に入られ、この仕事で一生頑張っていくぞと強く意気込んでいた。
仕事は忙しくて給料は安く、サービス残業は当たり前の毎日を送っていたが、それでも担当していたタレントさんから感謝の言葉を頂いたりすると嬉しく、望んだ業界に入ることが出来たのだからこの下積み時代を乗り越えようと考えていた。

 

しかし、同僚が体調不良を訴え休職したことをキッカケに、社内のパワハラ上司と接する機会が増え、毎日のように業務外でパシリ、どなられ、酷い時には蹴られることが続き、ストレスや疲れと共にミスが増えていったことで次第に信用が落ちていった。

 

その結果、ある時突然のクビ宣告を告げられる。

 

僕は人生の終わりだと思った。
辞めた後は、しばらくは茫然として何も出来なかった。

 

応援してくれていた学校の先生や先輩・同級生たちからは見放された。
「社会を舐めてる」と言われたり、SNSでの絡みも飲みの誘いなども次第になくなっていった。

 

高い学費を払って専門学校に通わせてくれ、学校で習ったこととは全く違う道に就職する事にも応援してくれた親に会わせる顔が無く、本当のことはしばらく打ち明けられないままでいた。

 

でも、働かなきゃ暮らしていけないし、
マネージャーになっても薄給多忙で貯金0、退職日当日まで忙しく働いていた僕にはゆっくり再就職活動をするという選択肢は無く、仕方なくコンビニのバイトに逃げた。

 

それでも、もう一度一旗揚げたいと思った僕は独立して生きていきたいと思った。

 

お金や知識や人脈もほとんど無かったけど、僅かに残ったのはそんな僕の夢を応援してくれる人たちだった。
そう、失ったのはそうでない人で、本当に大切な人との繋がりは失っていなかった。

 

自分が社会的に成功している時は何もせずとも人は寄ってくる。
でも、自分にとって本当に大切で必要な人とは、どんな状況に陥っても寄り添い助け合っていける人のことだ。

 

この時、苦難に陥った僕をずっと支えてくれた友人を見て、自らが立ち直り、今度は僕が誰かを助ける側に回ろうと決めた。

 

会社で働くだけが人生じゃない

社会人となったばかりの頃の僕は、学校を卒業したら会社に入って朝から晩まで働いて、辛いことがあっても耐え抜けば報われる日が来るものだ。
給料とはこうした生活を乗り越えることで得られる対価だと思っていた。

 

終身雇用制はとっくの昔に無くなったと知っているはずなのに、親兄弟の姿など自分の見識でしか判断出来なかった僕は、一生この会社で芸能関連の仕事をしていくものだと思っていた。

 

でも、突然クビになり、収入が0になったタイミングで借金まで出来てしまった。
そう、人生はいつ何が起こるかわからない。

 

今、あなたがやっている仕事は自分が望んでやっている仕事ですか?
頑張った分だけ収入が増え、大切な人を守っていける仕事ですか?

 

一般的な生活を送るとすると、人生の約1/3は仕事をして過ごすという。

 

たった一度きりの人生、どうせならより楽しく可能性のある生き方をしたいと思わないだろうか。

 

独立を目指すことで成功するかどうかなんてわからない。
でも、好きな人たちと好きなことをして、人生の最期を迎える時、自分の生き方に胸を張っていられる生き方を目指していきたい。

 

今までとこれから「好きな事をして生きていく」事を目指す過程で得た僕の経験や考え方が、日々のマンネリ化やこれからの人生に悩む人の役に立てたらなと思う。