オピニオン

人の死には優しい心を思い出させてくれる意味があると思った話

この記事は、人の死の意味について考えてみた記事です。

 

先日、僕の母側の祖母が10年に渡る介護生活の末に亡くなりました。

満87歳の人生でしたが、苦労の多い人生だったことを度々親から聞いていました。

 

この祖母は母にとって育ての親で、若くして亡くなった本当の母に代わり、小さい頃からずっと面倒を見てくれたと言います。

僕が小さい頃は毎月のように遊びに行っていたので、たくさん可愛がってもらったことを今でも覚えています。

 

周りの人を常に気遣い、腰を曲げるようになってなお家族のために動こうとしていた祖母。

そんな祖母の死を通して感じたことを詳しく書いていきます。

 

死は周りの繋がりを強いものにしてくれる

 

人の死には、故人に関わる周りの人の繋がりの強いものにしてくれる力があると思いました。

 

理由は単純で、親戚などの関係者みんなが集まって故人の思い出話をしつつ、共にこれからの家族や親戚との付き合い方を考えさせてくれるキッカケとなるからです。

 

祖母の葬式をすることになった今回、従兄弟や親戚たちと約15年ぶりに再会することができました。

ウチの兄弟と年齢が同じで、小さい頃はすごく仲良くしていた従兄弟でしたが、大きくなって祖母の家に行かなくなってからはすっかり交流が途絶えていました。

 

しかし、久しぶりに会うと昔の関係と変わることはなく、東京に住んでることが分かったのでまた会おうということになりました。

祖母の葬式がなければ会う機会はありませんでしたし、きっとこれが祖母の最後の置き土産だったのかなとも思います。

 

こうしたことから、人の死は決して悲しいだけのものではなく、周りの人との絆を強めてくれるキッカケにもなっているのではないかと考えるようになりました。

 

死に直面すると黒い感情はすべて無力化される

 

今回久しぶりに身近な人の死に直面し、もう1つ感じたことがありました。

 

それが、

死に直面するとそれまで感じていた黒い感情はすべて無力化される

ということでした。

 

誰のせいでもない病による死に限りますが、人は死を前にした時、誰かを嫌ったり恨んだりする気持ちは無くなり、故人への感謝の気持ちと周りを大事にしようと思う優しい心に包まれるということを感じました。

 

「もっとしてあげられることがあったのではないか」という後悔こそ生まれるかもしれませんが、普通の人であれば目の前の人がこの世からいなくなることを喜ぶ気持ちは生まれません。

これは、決して身内だからというわけではなく、見知らぬ人であっても同じ感情を抱くのではないかと思います。

 

自分にとっては知らない人であっても、人には誰しも大切に想ってくれる人がいるものです。

そうした故人の周りの人が悲しむ姿を見た時、大切な人が亡くなったという感情に共感し、例え知らない人であっても悲しい気持ちになるのではないかと思いました。

 

ただ、僕らは日々周りの人や出来事にいろんな感情を抱きます。

そして、それは決して優しいものだけではなく、イライラなどの黒い感情もあります。

その黒い感情は物理的でなくとも、言葉という形で誰かを傷つけ、引いては死に追いやる力があるのではないかと思います。

 

しかし、その黒い感情さえも無力化してくれる力が人の死にはあると思いました。

 

死の悲しさやその後の優しい気持ちは黒い感情を上回る。

これを知ってなお、黒い感情を持ち続けて誰かを傷つけることを選ぶのかを、もう一度考える必要があると感じました。

 

あなたは優しい気持ちを持つ時間と、黒い感情を持つ時間、どちらを長く持っていたいですか?

 

最後に

身近な人の死は滅多に訪れるものではなく、日々に忙殺される中で温かい気持ちなどはすぐに忘れてしまうものです。

 

しかし、死という人生の終着点があることを思い出した今、

自分はどう生きていきたいのか。

大事な家族にはどうあって欲しいのか。

その為に今できることは何か。

 

これを考える機会とし、少しでも後悔しない生き方に繋げていけたら、故人も喜んでくれると思います。

 

いがらし
いがらし

ばあちゃん、大事なことを思い出させてくれてありがとう!